スタジアムにおける暴力に解決策はあるのか

いつか、どこかの雑誌のインタビューで、「好きなTV番組は?」と尋ねられたロベール・ピレスが答えていた。

「M6のドキュメンタリー番組が好きだ」

毎週日曜のゴールデンタイムに、M6(民放6チャンネル)では『ゾーン・インテルディット(禁止ゾーン)』に続き、『アンケット・エクスクリュジヴ(独占取材)』というドキュメンタリー番組が放映されている。売春や違法ドラッグ、凶悪犯罪などの特集を組んでいるが、その中でも6月末に放映されたダルフール紛争(スーダンのホロコースト)の特集では、紛争で無人と化した無数の村々や、野ざらしにされた山積みの死体を隠しカメラで捉えた世界初の映像が流され、国際社会を震撼させた。

7月1日(日)放送の『アンケット・エクスクリュジヴ』では、「スタジアムにおける新型バイオレンス」というテーマで、フランス当局の悩みの種となっている過激派・独立派サポーターの実情を暴露した。

きっと、ドキュメンタリー好きのピレスもこの番組を見たはずだ。

なぜ、サッカーのスタジアムだけが暴力行為の巣窟となっているのか。

昨年のフランスサッカーリーグ(アマチュアも含める)では、合計800件以上の暴力行為が摘発されている。これに対し、バスケットのフランスリーグでの暴力行為は年間わずか3件のみ。ラグビーのスタジアムにおける暴力行為に及んでは年間ゼロであった。

ある社会学者は、「戦争のない平和な現代において、メディア効果を持つサッカーのスタジアムは、社会における『暴力』という『必要悪の場』としての機能を果たしている」と話す。その背景には、サッカー選手の華やかなショービジネス的側面、権力の象徴としてのサッカー・マネーの偏在と、後を絶たない汚職や八百長スキャンダルといった要因があるのだろう。全て、暴力とは縁のないラグビー界には存在しない側面だ。

『アンケット・エクスクリュジヴ』のイントロを飾ったのは、バロンシエンヌ対マルセイユ戦の平凡な風景だった。試合は特に大きな衝突が起こることなく終了したが、問題は試合後のスタジアムの外で起こった。悪名名高いマルセイユの「ウルトラ(過激派)」サポーターを大人しく帰途につかせるため出口で彼らを待っていたのは、完全武装した特別機動隊の面々だった。機動隊を見るなり興奮したウルトラたちは、待ってましたとばかりに攻撃的な態度をみせた。それに呼応するかのように特別機動隊が反撃を開始する。フランス北部の小さな町バロンシエンヌがカオスに陥ろうとした瞬間、仲裁に入ったのは、マルセイユのウルトラサポーターのリーダー、ラシッドだった。

ラシッド――。

彼はかつて、ウルトラよりも過激な「インデペンデント(独立派)」サポーターの一員だった。暴力沙汰で刑務所に送られた経験もある。しかし、刑務所から出たラシッドは、突然マルセイユのクラブに呼び出され、そのまま雇用された。彼の任務はずばり、彼の権限により5,500人のウルトラサポーター集団「ウィナーズ」を統制し、スタジアムでの過度な暴力行為を未然に防ぐことだった。ラシッドはウルトラのメンバーからリスペクトされ、彼の言動に背く者は1人としていない。

このように、アソシエーション(協会)として登録されているサポーター集団は、警察当局やクラブの努力により、ある程度のコントロールが可能となっている。しかし、かつてのラシッドも所属していたインデペンデントは、あらゆるコントロールを逸脱し、スタジアム内外における脅威となっている。

ナンシー対リヨン戦。

試合当日の数時間前、普段は穏やかなフランス北東の都市ナンシーの市街地を、どこからともなく出現したリヨンのインデペンデントが雄叫びを挙げながら闊歩していた。ウルトラはチームユニフォームやキャップ、マフラーなどを装着しているのに対し、インデペンデントの服装は概して普段着であること、そしてウルトラはバスで集団移動するのに対し、インデペンデントは自家用車で個々に移動するのが大きな特徴だ。

その名も示す通り、どのサポーターグループにも所属しない新型ホーリガン、インデペンデントの目的は、チームのサポートなどではない。サッカーの試合という格好の 「暴力の場 」で、思う存分暴力行為を働くことだ。要するに、彼らはサッカー観戦のためではなく、暴力のためにスタジアムに足を運ぶのだ。

フランスサッカー界に吹き荒れるバイオレンスがクローズアップされはじめたのは、皮肉にも1998年のW杯でフランスが優勝を飾った直後だった。フランス国旗のトリコロールにならって生まれたチームカラーのスローガン 「ブラック・ブラン・ブール(黒人・白人・アラブ人) 」の団結がフランスを狂喜の渦に巻き込んだその日、人種・年齢を問わず、知らないもの同士が肩を抱き合い、杯を交わし、夜遅くまで優勝の陶酔を味わった。人種差別というフランスの社会問題の解決策はサッカーにあり、と誰もが思い込んだ。しかしそれはあまりに短絡的だった。優勝の夜の歓喜と同じく、一時的な幻想に過ぎなかったのだ。

W杯優勝から現在までの約10年間で、サッカーはフランスで最もメジャーなスポーツとなり、フランスリーグ・1の観客動員数はうなぎ昇りに爆発した(+50 %)。しかし、フランスプロサッカー協会は、この事実を手放しに喜ぶことができなかった。観客動員数の上昇は、いとも簡単に暴力沙汰の増大に直結してしまったのだった。

フランスがその事実をはっきりと認識したのは、昨年11月のUEFA杯、パリSG対テル・アビブ(イスラエル)の試合後、スタジアムの外で起こった悲劇を通じてのことだった。敗戦したパリSGのインデペンデントが、報復を目的に、1人のイスラエル人サポーターを追いかけ始めたのが事の発端である。数人の興奮が周囲を巻き込み、インデペンデントの数は瞬く間に増大した。そこを偶然通りかかった私服警官がイスラエル人をかばい、近くのマクドナルドに逃げ込んだ。その間、私服警官は「私はポリスだ!」と、何度となく連呼したらしいが、興奮していたパリSGのインデペンデントたちは、誰も聞く耳を持たなかった。

悲劇は、最悪の結果に向かって連鎖反応を起こした。

私服警官がアンチーユ諸島出身の黒人であったこと。警察であることを示す腕章をつけていなかったこと。近くをパトカーで通過した同僚警官に助けを求めたにも関わらず彼らに無視されたこと。そしてこの黒人警官が庇っていたのがイスラエル人であったこと。逃げ込んだのが「ジハード(聖戦)」の敵、アメリカを象徴するマクドナルドだったこと・・・

サッカーにおける暴力行為の根深さが、フランスの社会問題である人種差別に直結していることをはっきり物語っていると言えよう。

インデペンデントたちはやがて、マクドナルド店舗を破壊し始めた。店舗内になだれ込んだインデペンデントに包囲され、自身の身に危険を感じた私服警官は、自己防衛のためにやむを得ず、集団に向けて発砲した。そして、ひとりの青年の命が犠牲となった。

この現状に対し遺憾のコメントを残した当時のサルコジ内相(現フランス大統領)は、即座に過激派サポーターをコントロールすることを目的とした法律(スタジアム入場禁止リスト、スタジアム内の司法措置の常設など)を制定した。

こうした措置により、警察によるスタジアムまでのサポーターバス誘導、行き過ぎた表記を伴う横断幕のチェックに始まり、持ち物チェック(投棄を目的とした機能しない携帯電話や発炎筒の没収)が入念に行われることとなった。そして、ハイリスクの試合においては、スタジアム内に設置された10台以上の監視カメラによって、サポーターの行動が随時録画保存されている。

しかし、先述したように、こうした措置で制御が可能なのは、正式に登録済みの公式サポーターのみだ。インデペンデントは、監視の厳しいスタジアム内および周辺での暴動ではなく、警察の目の届かない遠隔地で暴動を繰り広げるのだ。

この特集番組の中で最も震撼したのは、リヨンとナンシーのインデペンデントのリーダー同士が電話で連絡を取り合う映像だった。場所と時間、大体の人数を決め、試合直前に互いのサポーターが一同に集合するために申し合わせる。その話し口調は非常に友好的で、敵対するチームに対する威嚇的な態度は見られなかった。

2人の目的はたったひとつ、警察当局の目を盗んで、「死者・重傷者が出ない程度で」思う存分 「ファイト(戦闘) 」をすることなのだ。ファイトの趣旨は、こん棒などの武器を持たず素手で戦い合い、どちらかのインデペンデント集団が尻尾を巻いて逃げるまで衝突するという非常に原始的なものだ。その間、長くても数分間。もちろん、警察のサイレンが聞こえると同時にファイトは中断され、インデペンデントたちはクモの子を散らすように退散する。

番組内でフレッド(28)と名乗ったリヨンのインデペンデントのリーダーは、「暴力はサッカーの一部だ」と明言する。12針縫ったという後頭部の傷跡を誇らしげに見せながら、感動を交え、遠い目でファイトシーンの思い出の数々を語る。彼が初めてファイトに参加したのは、16歳の時、アウェーの対マルセイユ戦だった。

しかし、信じられないことにフレッドは、普段は障害者福祉員として社会に貢献する一児の父なのだ。フレッドは「同僚や顧客の信頼を失わないように」と、週末に何をしているか周囲には内密にしている。インデペンデントの構成メンバーは、社会的地位を持たない失業者や、「ゾーン」と呼ばれる郊外の低所得地域の移民ばかりという認識は、もう通用しない。その中には、現役の経営者や弁護士も含まれるらしい。番組の中では、どうして平凡な一般人が、週末のみインデペンデントに豹変するのか、その辺が明確に提示されなかったのが残念だ。先出した社会学者の言うような「必要悪としての暴力」なのか?

マルセイユでのホーム戦を翌日に控えたある日、ウルトラリーダーのラシッドは100人ほどのサポーターを一同に集め、試合前のアニメーションを指導した。その大半は若者だ。かつて、サッカーのスタジアムを「暴力の場」として捉えていたラシッドだが、今は「スポーツ教育の場」としてのポテンシャルを見出している。ここに、暴力払拭に奔走するフランスサッカー界の希望が隠れているのかもしれない。